『介護をする心のうらおもて ~ありのままを大切に~』(1)

認知症対応型共同生活介護施設 「グループホーム福音の園・川越」
ホーム長 杉澤 卓巳 氏 

はじめに:介護セミナー開催の目的(目標)について

 3回目とお聞きしました「介護のやすらぎカフェ」にお招きを頂きまして心から御礼申し上げます。こうした「介護に関する集いやセミナー」を開催しますときに、主催者が願っているのは「介護に関する視点が変えられる」「介護や高齢者福祉に対する物の観方が変えられる」と云うことです。

「観方が変えられる」と云うとき、漢字の「見物・見学」の「見る」ではなく、「観察する」と云う漢字を使った「観方が変えられる」ことを意味しています。国語辞典で【観察】の漢字の意味は、『物事や現象を、ある目的に従って、客観的な立場で詳しく見極めること』と解説しています。

1)観る心を養いましょう-「優しい眼差し」に変えられる喜び

 「今日は何の日?」。本日、10月26日は「サーカスの日」。1871年(明治4年)、今から143年前、東京・九段でフランスの「スリエサーカス」による日本初のサーカス興業が行われた日。それでは、1月12日は何の日? 「スキーの日」。日本に初めてスキーの技術が伝えられた日。1911年(明治44年)のこの日、オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県上越市(旧高田市)で陸軍歩兵連隊の隊員に一本杖スキーを指導した。これが日本人初のスキーとなった。「日本スキー発祥の地」が新潟県旧高田市。

 この新潟県旧高田市へ、遠く九州の熊本県在住の方が学校教員として赴任された。その数年間を豪雪地高田で過ごされた。日曜日には教会の礼拝に出席された。定年退職して後、半生を綴った「回想録」を自費出版して親しい人たちに配った。その1冊が、当時私が出席していた日本基督教団高田教会にも届けられた。ある主日礼拝の中で、牧師がこの一句を読んで紹介しました。44年も前のことでしたが、高校生の私は、これを書き留めました。

 南国の九州から、生まれて初めて、豪雪地で想像を絶する厳しい冬を過ごした。やっと迎えた遅い春。雪の間から咲く梅の花は、それまでの半生のうちで見てきた、どの花よりも美しかったのでしょう。
雪の重みで見るも無惨に枝が折れてしまっている。その痛々しい梅の幹から、蕾みを膨らませて梅の花が咲いている。何気ない風景に生命そのものを見い出した 感動がこの文章になったのでした。
 学校教員として、春には毎年たくさんの教え子が巣立って行った。その一人ひとりを見守りながら、彼らの生き様から観る心が養われたのだと推察できます。成長した教え子たちの過ぎ来し方に、豪雪地・高田の地で感動した梅の花が重なって観えたのだと思われます。

 外見、容姿、学歴、社会的地位と云った観点で人間を評価する尺度から解放されたのでした。外側だけの価値観や尺度、どう暮らすかと云う暮らし向きにのみ心を奪われ、人生の意味や価値がおろそかになっていなかっただろうか、と心の内側に思いが深く集中していったのだと思われます。一輪の梅の花を観て、心の眼が開かれたのでした。

 特に、「認知症」と云う病気によって自立した生活が困難になってしまった父や母、夫や妻を介護する。世話をする側・される側の私たち一人ひとりに求められているのは「ひときわ愛らしきように思われ候」という「観る心」です。認知症と云う病気の人たちや様々な「障がい」と云うハンデイを負わされた人たちと接しながら、私たちは創造主 つくりぬし なる神さまのまなざしを持って「ひときわ愛らしきように思われ候」と、心から口を紡いで発することができたならば、何と幸いなことでしょうか。

 それが、この度のテーマ「本音で語ろう! 介護をする心のうらおもて ~ありのままを大切に~」です。「観る心」が養われること、優しいまなざしに変えられることが、本日の目標となります。

2)百人百様な「体験」(介護体験)も、学習することで「経験化」される

 「体験と経験とは違う」と云う言葉を、どこかでお聞きになったことがあるでしょうか。
「体験」とは、その人の個人的な出来事です。家庭における出来事、職場における出来事、地域社会における出来事、などなどです。それは、ときに「筆舌に尽くしがたい」ほどに辛かった。いつまでも尾を引く出来事だったと述懐される方もいらっしゃるでしょう。今私たちは「介護をする」と云うテーマに絞って午後の時間に集っていますので、百人百様な体験は一重に「介護体験」と云うことになります。体験したことが体験のままで終わってしまったら、解決の糸口が掴めないまま、長く 長く「末代までも続く」ことになります。そこで、誰かに「あなたの体験したことは、こういうことだったんですよ!」と教え諭していただく。体験した物事や現象を、ある目的に従って、客観的な立場で詳しく見極める。客観的・批判的に捉え、他の人にも通じる言葉で体験したことを捉え直してもらうことによって、初めて「体験が経験化されていく」のです。体験が経験化されたときに、この後にお話しさせて頂く「愚痴や嘆き」から解放されます。自由になることができます。体験したことを「学習する」とは、今この瞬間、この時間「第3回 介護のやすらぎカフェ」のことを意味しております。

3)事例報告:87歳の老親を看取って

 先月の9/14(日)の夜、田舎の母87歳が召されました。デイサービスを利用し、またショートステイを利用して「介護サービス」フル活用していた。やがて、施設入所となった。2年8ヶ月施設でお世話になった。その施設から「最期の看取りは行なわない方針なので自宅で最期を迎えられるようにして頂きたい!」とこの夏、施設担当者から告げられました。困惑しながらも、従姉妹 いとこ で正看護師の心強い受け入れ体制もあって、息を引き取る5日前に施設退所し、自宅へ帰りました。
床ずれ防止のエアマットを敷いた座敷・畳間で過ごしました。最初の1日目は水分補給や栄養補給を口から摂りましたが、2日目からはほとんど受け付けませんでした。4日目の9/13(土)、往診下さった在宅診療のドクターに妻が尋ねました。「あと どれ位の寿命でしょうか?」「オシッコが出なくなってから48時間が目安でしょう!」と回答下さいました。その診たて通りに、翌日の5日目夜、弟が様子を見たら息をしていなかった。夜10時30分過ぎだったが、すぐにドクターへ連絡。深夜近くなったが、往診下さり、「老衰」と死亡診断下さったのでした。

 やせ細って、もう全身が皮と骨だけでした。知らない人が見たら、「まあ何て気の毒な、こんなにやせ細って…」。死に顔と対面して、口には出さずともそのようにつぶやき、嘆いたに違いありません。けれども、私も妻も、高齢者福祉の介護現場に居て、既に13人の方々をホームで看取ってきた。積み重ねてきた体験から、私共の心は 穏やかに「母の最期」を受け留めることができました。

【最期の瞬間を自宅で迎えることができた。その為に在宅酸素のチューブやマスクもしなければ、点滴もしなかった。それによって、本人にとって最も負担のない数日間であった】という事実です。遠く医療のない時代、お年寄りの死と云うのは、冬が近づけば木の葉が落ちるような、自然なものだったに違いありません。それが、医療の進歩に連れて、沢山の恩恵を受けることが出来るようになりました。ところが、恩恵と共に、死がますます過酷な、ますます悲惨なものになっていくのを感じます。医療では、食べられなくなってからでも様々な治療が続けられ、病人は風に逆らうように死んでいる。私たちは、本人の為にと思って、家族は苦しまないように「良かれ」とばかりに、チューブで酸素を送る。元気になって欲しいからと栄養剤の点滴を施す。その為、体内の各臓器はかえって負担を強いられる。まだ若くて働き盛りの人ならいざ知らず、最期を待つ高齢者にとっては逆効果になると云う現実。体内の各臓器は、最期に向かって準備している。在宅診療のドクター見解の通り「48時間」のタイムリミットを迎える。私の母はそのような最期だった。ですから、「まあ何て気の毒な、こんなにやせ細って…」と嘆かなくても良い。やせ細って、全身 皮と骨だけになって当たり前。「冬が近づき、木の葉が落ちるようにして、その一生を閉じる」とは、正にこのような姿だったのでした。

 各臓器が最期に向かって静かに準備しているのに、やれ酸素だ、点滴だ! となる。最期に向かっている肉体から見たら、要らぬお節介「迷惑千万」。横たわるベッドが「人型」の形でビッショリと濡れてしまうと云われます。汗でも失禁でもない。皮膚呼吸を行なう全身の毛穴から余分な水分を吐き出そうとする生理代謝。それだけ心臓に負担が掛かり、辛い表情となり、全身のむくみ(浮腫)となってしまう。

母の最期(息を引き取る前日でしたが)に立ち会うことで、1).「観る心を養うこと」ができた。そして 2).ホームで13人の方々を看取り、母の最期を看取ると云う「体験」を通して、百人百様な最期を学習することができた。そのお陰で、嘆いたり落ち込んだりしないで肉親の死を「通過儀礼」することができた。これが「体験が経験化される」と云うことです。


前へ次へ

■関連リンク
● 介護セミナー「いのち溢れる交わりに生きて」
介護をする心のうらおもて〜ありのままを大切に〜(1)
介護をする心のうらおもて〜ありのままを大切に〜(2)
介護をする心のうらおもて〜ありのままを大切に〜(3)