『御言葉を学ぶために』  

於保 治樹主任牧師

苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによって、わたしはあなたのおきてを学ぶ事が出来ました。(詩篇119編71節)

この詩篇119篇には、おきて、さとし、あかし、定め、のことばが多く書かれてますが、これは「みことば」のことです。71節では、苦しみに合ったことが祝福になったといっています。そのことによって、神様のみことばを学ぶ事ができたからと。
「苦しみ」という言葉は、ヘブル語で「アーナー」といいますが、「苦しむ」の他に3つの意味に使われています。

  • 第1に、「聞く」です。羊が羊飼いの声を聞くように、私の羊は私の声に聞き従う(ヨハネ10章27節)とイエス様はいっています。また、「4つの種」の例え話で、良い地に蒔かれた種は、みことばを「聞いて」悟る人であり、30倍、60倍、100倍の実を結ぶといっています(マタイ13章16~23節)。みことばをしっかり受け止め、堪え忍んでじっくり悟っていく人。主とのディボーション(交わり)の中で主を見上げつつ、みことばを教えて頂き、みことばによって耳が開かれ、無学な者に知恵が与えられる事です(詩篇119篇130節)。みことばに堪え忍んで従って行くとき、神は彼らの耳を逆境によって開かれる(ヨブ36章15,16節)のです。
    第2に、「応える」です。受け止め、受け入れることです。旧約時代のアブラハムも、いろんな弱さを通されました。しかし、約束の子供であるイサクを「ささげよ」との神の命令に、神の約束のみことばとの葛藤の中で、従いました。神の約束は必ず成就し、神はイサクをよみがえらせて返して下さると信じたのです(ヘブル11章17~19節、ローマ4章17、18節)。常識や経験が通用しない時も、神のみことばにゆだね、応えて行くことです。
    第3に、「服従」です。「従う事は、犠牲にまさり、耳を傾ける事は、雄羊の脂肪にまさる」(サムエル上15章22節)とあります。聴従です。主のもとで主のみことばに聞き入っていたマリヤのようにです。旧約の時代、解放された奴隷が、恵み深いご主人に感謝して「自分の人生を全部あなたにささげます」と進んで申し出た時、その印として、耳たぶにきりで穴を開けた事(出エジプト21章6節)から「耳を開ける」ということばが起こりました。


聞くことは、従うことです。
どんな犠牲よりも、最高の捧げ物よりも、神はみことばに聞き従う事を喜んで下さいます。
主はわたしたちにいつも最善をなさり(68節)「あふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとしてくださるであろう」(ペテロ第1・5章10節)
と約束して下さっています。
苦しみの中でこそ、主のみことばに耳を開けられ、聞き従うものとさせて頂きましょう。