『新たに生れる』

於保 治樹主任牧師

よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。
(ヨハネによる福音書3章3節)

パリサイ人であり、ユダヤ人の指導者であり、外面的には、満たされて、何の不自由も無く生きてようにみえていたニコデモ(人民の勝利者の意)は、夜、人目を避けて、イエス様に会いに来ました。そして、「先生、私たちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」と告白しました。
「私たちは~」と自分の事ではなく、誰か他の人の事として言っていますね。しかしイエス様は、ズバリ答えてます。

「だれでも新しく生れなければ神の国を見ることはできない」と。
「新しく生れる」とは、

  • 第1に、全く別に新しく生れること。
  • 第2に、再び生れる(ボーン・アゲイン)こと。
  • 第3に上から生れること、人間の努力でなく、神によって生れることです。「すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力をあたえたのである」(ヨハネ1章12節)

肉体が生きていて、魂が知、情、意を持っていても、霊が神様から離れていれば、死んでいるのです。私たちは自分の罪過と罪によって、神様から離れ、死んでいた者です。しかし、神様との交わりが回復されるとつながり、生きるのです。
聖霊によってでなければ、生れ変わることは出来ないのです(第1コリント12章3節)。この聖霊の働きを頂くためにすることは、ただ、主イエス・キリストを信じることです。神の御子イエス様を救い主と信じるとき、新しく生れ、新しい命を持つのです。新しい命とは、神の命、永遠の命です。

ニコデモは「どうして、そんなことがありましょうか」といっています(9節)。一生懸命、勉強している人でしたが、信じるということがわからなかったのです。自分の力だけで何かをしていく心は、神様から見ると、高慢な罪の心です。昔、イスラエルの民は、荒野でつぶやきの罪から、毒蛇に噛まれて苦しみました。そのとき、モーセが作った燃える青銅の蛇を見上げた者だけが助かりました。イエス様は、ご自身がのろいをしめす蛇のようにされ、全人類の、のろいそのものとなって十字架にかかり、私たちの受ける罪と罰を引き受けてくださったのです。

そのことを信じ、主を仰ぐ時、救われ、新しい永遠の命が与えられ、新しく生きるのです。そして聖霊は風のように主を信じた人に結果を残します。神の子として、父なる神との交わりの中で、日々新たにされ続けていきましょう。